第九交響曲“歓喜の夕べ”
北日本新聞社と富山県合唱連盟による第九演奏会。
この歴史は古く、昭和35年に第1回第九演奏会が始まってから
半世紀以上。
オーバード・ホールの大舞台で毎年開催しています。
日本を代表するマエストロ、オーケストラ、ソリストとともに、
富山県合唱連盟「第九」合唱団が共演します。
毎年、10月から特別合唱団を組織し、年末の本番に向け練習を積み重ね、本番では毎年感動の渦を巻き起こします。
※合唱団員募集要項は、「各種申請書類」ページへ
富山における第九の歩み
富山県における「第九」は、昭和25年12月26日、県議会議事堂における演奏が初公演である。指揮・黒坂富治、ピアノ・大間知千津恵、ソプラノ・篁ハル、アルト・厳寺シズエ、テノール・渡辺与三治、バス・小澤慎一朗の各氏、当時のそうそうたるメンバーが出演し、ピアノ伴奏による第4楽章のみの演奏であった。
やがて、オーケストラ付きで「第九」という機運が高まり、運営面や演奏面での困難に直面しながら、昭和35年12月26日、富山市公会堂で、指揮・朝比奈隆、管弦楽・大阪フィルハーモニー交響楽団、ソプラノ・笹田和子、アルト・桂斗伎子、テノール・木村彦治、バス・石津憲一、合唱・富山県合唱連盟特別合唱団(200人)による「第九」後援が実現した。この公演が第1回公演である。これを計画した当初は1回のみの演奏会のつもりだったが、「第九」が県民に与えた感動は予想以上に大きかった。翌36年も開催したが、演奏面や資金面での調整・調達が難しく、毎年の開催には至らなかった。
しかし、北日本新聞社、富山県合唱連盟の主催者側の熱意と回を重ねるうちに橋梁体制が敷かれ、市民参加型の音楽の祭典、年末の棹尾を飾る「第九交響曲“歓喜の夕べ”」として定着し、昭和45年の第6回公演以降は毎年開催されるようになった。ここに至るまで10年の年月を要したことになる。同じ主催団体で50回もの公演が継続されていることは全国的にも類をみないことである。
この間、東京芸術大学の指揮、管弦楽、独唱による公演もあったが、第25回(平成元年)より、立山町出身の金山茂人氏が団長を務める東京交響楽団を毎年招聘することができ、ようやく富山の「第九」の形が定まってきた。また、後記の記念事業の実現も金山茂人氏、東京交響楽団のご協力の賜物と感謝している。
さて、富山の「第九」で特筆すべきことは、合唱団員400~500人からなる団員数と高校生が多く参加していることである。オーケストラの人たちも「富山の『第九』の声は若い」と言う。「第九」を歌い終わったときの感動は他では味わうことができないものであり、10代のときにこのような貴重な演奏体験をもつことの意義を大切にしている結果である。
これまで、指揮は朝比奈隆をはじめ、山田一雄、小泉和裕、若杉弘、秋山和慶、外山雄三、大友直人、飯森範親、現田茂夫。管弦楽は、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京芸術大学管弦楽部、京都市交響楽団、東京交響楽団。ソプラノに佐藤しのぶ、樋本栄、中沢桂、秋山恵美子、松本美和子、曽我栄子、岩井理花。アルトに戸田敏子、木村宏子、伊原直子、秋葉京子、長野羊奈子、安念千重子、志村年子、岩森美里、坂本朱、菅有実子。テノールに木村彦治、鈴木寛一、川村敬一、響場知昭、林誠、田口興輔、五十嵐修、黒田晋也、福井敬、星洋二、吉田伸昭。バスに石津憲一、斉求、池田直樹、岡村喬生、栗林義信、平野忠彦、大島幾雄、高橋啓三、松本進、黒田晋也、直野資の各氏ら、日本を代表する演奏家と協演する富山の「第九」は、高い演奏水準を求めて止まない精神と相まって、地域の音楽文化の向上に寄与していることは特筆に値するであろう。あえて演奏家を列記したのも、県音楽史の頁を飾るにふさわしい事実を明らかにしておきたかったからである。
中村義朗 富山大学名誉教授・富山県合唱連盟顧問
(第九50回記念特集より抜粋)